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【どうする家康】 兎と狼 感想

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天文十二年 (1543年)三河の地、岡崎城に戻り広忠と御太の方の間に竹千代は生まれた、寅の年 寅の日 寅の刻生まれでこりゃめでたい、と場内は大盛り上がり、その三河の猛将は今大高城で赤子のように怯えていた。

 

12年前信頼していた戸田 康光に裏切りで尾張の織田 信秀の所に送られ、そこで信長から実の兄弟の如く可愛がられる日々…ではなく、暴力同然の稽古を受けるはめに、木の葉のように飛ばされ、地べたに叩きつけられる様子は視聴してるこっちも信長嫌いになりかれない光景で、駿府の人質生活が家康にとって如何に快適であったか良く解りました(汗)。

 

信長は何故か引き返すも、三河に帰りたい鳥居忠吉ら家臣と家康と対立、その上、野心家 松平昌久 の騙し討ちで,達は倒れるか傷付き忠吉も重傷、辛うじて菩提寺大樹寺に逃げ込むもそこにも昌久が手勢で押しかける。逃げ道の無い絶望、自らの至らなさで家臣を傷つけた罪悪感に包まれた家康はせめて家臣の命はと父と祖父の墓の前で(後に何度も繰り返す)自害を試みる程追い込まれる。その判断を変えたのは最も反抗的な忠勝と寺に住み込んでいた小平太、後の 榊原康政、そして忌み嫌う尾張の過去。

 

祖父、父のように家康が命を捨てて守りたいと思える主にならない限り認めない忠勝、厭離穢土 欣求浄土の意味は穢れた現世を離れるのでは無く、良い世に変える事と教わったと言う康政、弱いままでは食われると言う言葉と、虎の意地を一瞬でも見せ認められた過去の信長との記憶。接し方 口調 何もかもバラバラでも、家康は強い寅の子だという確かな証、寅の子 主君の意地と誇りを思い出し、有りたっけの見栄と気迫で昌久を一喝し家臣と共に威風堂々三河に帰還する。後世に伝わる家康像を彷彿させる覇者の風格、その姿を真摯な眼差しで見る忠勝、康政両名の姿は印象深かったです。

 

寅の生まれは御太の方のゲン担ぎの為の嘘で家康はやはり兎の子と言うしまらないオチけど、物事は考えよう、家臣達の家康への信頼と希望、(後君主としてのハードル)も高まる良い切っ掛けになれたと言う点で大成功かと。

 

忠吉のように子供染みた拗ね方の一方、身を挺して躊躇無く家康を守る真っ直ぐさも、若干オーバーではあるが武士の立ち位置を分り易く伝える描写も良かったです。次回は今川家との決別と三河平定戦色んな意味でハードル高いが楽しみにしたい。